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2017年11月21日
本音を言います!専務&部長対談
| 苦しい時代があったから、 いまの不二電気工事がある
創業60周年を迎えた不二電気工事。その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。苦しい時代をともに歩んできた藤田智香専務、田近篤部長に「不二電気工事はなぜ生き残っているのか」について、本音を語ってもらいました。 |
あのころは「ダメな二人」だった
- 専務
- 私が不二電気工事に入社したのは17年前。大企業に勤めたあと、アルバイトのような気持ちで、家業である不二電気工事の仕事に携わったのがそもそもです。正直、あのころはあまり本気ではなかったですね。ただ、職人さんにまみれて現場には出ていました。
- 部長
- その時期、他社で職人をしていたのが私。電気工事職人のカッコ良さに惹かれて業界に入ったのはよかったんですが、床暖房の電気工事ばかりやっている自分を「このままでいいのか」と思っていました。それで、もっといろいろな電気工事をやりたいと思い、第二種電気工事士の資格を取得するために講習に通ったのが、専務と出会うきっかけでしたよね。
- 専務
- 私も同じように講習に通っていましたからね。お互いに何となく意気投合し、よくいっしょに飲みましたね(笑)。その縁で、うちの会社に来ない?と部長に声をかけて。
- 部長
- そう。「工事なら何でもできますよ」と言って会社に入れてもらったはいいんですが、入社当時は本当に何もできない人間だった。床暖房ばかりやっていたから、コンセントひとつつけられないダメな職人でしたね。
- 専務
- 服装もだらしなかったですよね(笑)。金髪にピアスという、いまではありえない格好でした。あまりの常識のなさに、現場で仕事をする姿を見て「大失敗して思い知れ!」と心の中で叫んでいました。
苦しい時期に方向転換を決意
- 部長
- 仕事がおもしろくなってきたのは3年目くらいから。一人でできることが増えてきて、現場の職人さんを率いる職長のような立場にもなりました。でも、まだ下っ端職人のような私が、ベテラン職人さんたちを管理するような感じでしたから、会社の上司や現場監督さんから怒られるわ、職人さんたちからは突き上げられるわ。でもこれが、私をものすごく成長させてくれたんです。怒られながらも、周囲の方々から大事なことを教わりました。おそらく、10年分くらいの経験を、3年くらいでギュッと経験させてもらったと思います。
- 専務
- 私も営業に出るようになってから、仕事の面白さが分かりました。当時社長だった父に同行し、自分なりにオリジナリティを加えて営業するようになるにつれ、仕事をいただけるようになりました。
でも当時、経営的にはすごく苦しい時期だったんですよ。
- 部長
- あのころの当社には、現場管理(工事現場ディレクター)がおらず、ほとんどが職人さんでしたね。
- 専務
- あまりにも苦しくて、会社を閉じようかという話も出ていたくらい。でも私は、せっかく腹をくくってこの会社で生きていこうとしているのに、それはないわと思いました。そこで部長に「どうすればいいか分からないけど、とにかくなんとかしよう」と相談したんですよね。
そのとき、部長がこう言ってくれたのをいまでも覚えています。「この会社はまだ何とかできる。それを信じて僕は残る」。
- 部長
- 私には「この会社は大丈夫だ」という自信がありました。なぜなら、専務には人的なネットワークがあったし、社長には斬新な企画力があった。そこに、ひたむきに現場を管理する自分たちがいれば大丈夫だと思っていました。
そこからですよね。職人さんが独立や転職などでどんどん辞めていかれて、不二電気工事が「職人集団」ではなく「管理者集団」になっていったのは。ただうれしいことに、あのとき辞めた職人さんたちの多くは、いま当社の協力会社になってくれていますよね。
会社を襲った二度の「暗黒時代」
- 専務
- 私、会長、社長、部長、そして入社したばかりの荒金課長で、とにかく必死でやりましたね。恥ずかしいことに、あのころの当社は、原価計算すらまともにできていなかった。改めて原価計算してみると、経費や職人さんの人件費などを差し引くと赤字になっている現場があることが見えてきたんです。だから、現場管理をしていた部長に「この現場はあと何日しか行けません」と毎日カウントダウンしていましたよね。
- 部長
- あのときはしんどかった。ただでさえ少ない人数で現場を回しているのに、専務が「あと何日しか現場に行ってはいけない」と無茶な要求をされるので(笑)。日数が限られるなら、もう時間効率を上げるしかない。切れ目なく時間を使えるように段取りを工夫し、いくつもの現場を飛び回りました。
- 専務
- でも、原価計算することで、極端に安い仕事を引き受けてはいけないという意識が生まれました。あの2年間は本当に苦しかったですけどね。当社の「暗黒時代」です。
原価計算をし始め、黒字の出る現場管理をするようになって以来、少しずつ業績が上向いていったんですが、2008年リーマンショックのとき、二度目の暗黒時代がやってくるんですけどね(笑)。
- 部長
- ちょうどそのころ、専務が「パナソニック・リニューアル大賞 金賞」を受賞しましたよね。でも正直、私は冷ややかな目で見ていましたよ。だって、リーマンショック後の景気の冷え込みで、売上がまったく伸びていなかった。そんなときに、何を受賞で舞い上がっとんねん!と思っていましたから。
- 専務
- あのころは新築の電気工事が主だったから、既存の建物に対するリニューアル工事という発想が、社員自体になかったんです。だから、社内はまったく盛り上がってくれなかった。お互いの無言で非難し合っているような感じでしたよね。
- 部長
- でも、あの受賞が、当社が生き返るきっかけになったんです。パナソニックさんという大企業に認められたということで、仕事が格段に取りやすくなった。それが分かるのは、受賞から2〜3年たったころですね。
- 専務
- リニューアル工事は、新築に比べて手ごたえが少ないから、職人さんたちにも敬遠されていましたよね。でもそのうち、数ヶ月かかる新築より、数日で終わるリニューアルのほうが効率がいいことに気づいてくださった。新築の合間にリニューアルを入れるなど、工夫してくれるようになったので、仕事を頼みやすくなりました。
- 部長
- そこから、ぐっと業績が伸びていきましたよね。
「関わりたい」と思っていただける会社へ
- 専務
- 考えてみると、あの暗黒時代があったことが、私たちを成長させてくれた気がします。荒金課長もすごく苦労しました。まだ経験が浅いうちから、部長同様に現場を走り回っていました。振り向いても部下も同僚もいない中、自分たちでやり切るしかありませんでした。でも、そのおかげで、気がつけば大きな仕事を手がけられるまでになったと思います。大きな仕事を任されましたからね。
- 部長
- おかげさまで、いまは社員が増えて、3年前に部長職をいただけるまでになりました。いまの悩みは、部下や後輩をいかに育てるか。理想は、もっとも社歴の浅い社員が、「自分が会社を背負っているんだ!」という思いで、仕事に取り組めるようになることです。たとえ小さな現場でも、そこにたくさんの人が関わっているから、引き渡しまで無事に仕事を完結するんだ、という気持ちを忘れなければ、何でも前向きに取り組めると思います。
- 専務
- 私は、不二電気工事を「多くの人に『関わりたい』と思っていただける会社」にしていきたいと思っています。営業の高瀬課長がこう言っているのを聞いて、すごく共感したんです。。まだまだ至らないところがあるので、いまの当社が最高!とは言えませんが、少なくとも、お客さまからは「不二電気工事の誰々さんとまた仕事をしたい」と言っていただけるようになりました。一人ひとりの社員が、お客さまに「またこの人と関わりたいな」と思っていただけるようになったら、本当にいい会社になれると思います。